みんなのBento

種類豊富なおかずが入った、楽しいお弁当。筆者たちが各々のレシピで調理しています。多くの人に食べてもらえるようなお弁当を作るため、日々研究中。

あなたは一番早く白球を見ましたか?ーー相米慎二『台風クラブ』のメンバー

 

 

 

本記事は、以下の記事の続き。今回は考察編。

minnano-bento.hatenablog.com

 

ウルトラレアネタバレ注意報!

 

 

 

 

 

 

この映画を見た人にとっては言わずもがなですが、記事タイトルは作中で学級崩壊後にアキラが窓の外を見て言う名ゼリフ「多分僕が一番早く雨を見た」から借りています。このアキラの思い込みの激しさにのっかって思い込み激しめに考察していこう。先に概要を言っておきますと、「台風クラブのメンバーは誰なのか?入会の条件は何か?」っていうはなしをします。

 

さて、前回の記事では『台風クラブ』の製作や、それを鑑賞・考察する側が作品に見出す映画の熱気、祝祭的ムードに疑問を呈しつつ、それでもこの映画がフィクションとしてそのような暑苦しさとはどこか無縁な演出がほどこされているのでは、と期待したのでした。本記事では具体的なシーンを取り上げてその可能性を検討します。

 

暑苦しさから離れたいので、まず人間から離れたい。台風が来るとか来ないとか騒いでたり、人生の意味について、大人になるってなんだろう、生きてるって何だろ生きてるって何?って悩んでいる人間た

白い球体3つ!

 

1. 野球ボール⚾️

 

三上くん、いつまで野球部のつもりなのよ、と言いたくなる。けど作中人物は誰も言わないであげている。三上、友達の家に行くだけなのに、背番号1のユニフォームを着てランニングしながら外に出かけるんだよ、退職後もスーツを着る癖が抜けないサラリーマンみたいじゃない。三上は先生に「あんたのようにならない!クソが!」と宣言をすると、先生は「お前もあと何年かすればな. . . 」とやり返す。けど三上はもう先生を追い越している。部活動を引退後も引きずることで、ある意味、退職後の大人たち(先生)をすでに追い越してる(正しくは事前に反復している)。

 

だが、野球ボールはストリップショーや先生対生徒の熱気と無関係な振る舞いをする。当たり前だ。だってボールはボールだ。三上はバスケットボードにボールをぶつけキャッチすることを繰り返しながら「なる、ならない、なる・・・」という花占いをしている。だが、まさに三上は人間社会に溶け込む瞬間にボールをキャッチすることをやめ、画面左から階段をのぼる。このとき野球ボールは画面の右側へバウンドして消えていく。

 

ステージに向かう三上(画面左)バウンドして消えていくボール(画面右)

もしも「台風クラブ」がステージの上ではないところにあるとしたら? 画面右に消えていったボールを追いかけてみても良いかもしれない。結局このストリップショーをまぬがれたアキラ(理恵はギリギリステージに立っている、段ボール人形?みたいな)のような画面の外に私が友達になりたい人がいるのかもしれない。

 

 

2. ピンポン玉🏓

三上が飛び降りるシーン。実はこのときポケットからピンポン玉が今にも落っこちそうになっている。

 

この絶妙なポジションにボールをセッティングすることにどれほど時間がかかったことか!また俳優本人がこの演出意図をおそらくは説明されずに無理やり実行を迫られたことを不憫に思ったりもする。ボールが落ちないように右半身を固定している。

 

それはともかく、このきわどい球は何のためか。三上の言っていることと何か関係があるはずだ(あるいは関係がないということを伝えるための関係づけがあるはずだ)。

 

 

恭一「みんな、これからいいものを見せてやるから、起き上がってよく見てくれ」

全員、立ち上がる。

恭一「(窓枠に手をかける)おれ、わかったんだ。なぜ、理恵がへんになったのか。なぜ、みんながこうなってしまったか。おれは、わかった。つまり、死は生に先行するんだ」

健 「え? 何だ?」

美智子「どうしたのよ、一体」

恭一「よく聞いてくれ。死ぬ事は、生きる事の前提なんだ。おれ達には、厳粛に生きるための、厳粛な死が与えられていない。だから、おれはみんなに死んでみせてやる。」*1

 

 

これはただの映画なので、さあ行ってこい!三上!やってみろ!はやく飛び降りろ!という気持ちで見守っているわけですが、

 

「みろ、これが死だ」

 

と言ってその主役が飛び降りようとするその瞬間、ピンポン玉がポケットから落ちるのである。

 

ピンポン玉の落下は三上の落下に先行する。

 

実は、この前のシーンで、三上は口の中にピンポン玉を入れて出し入れしている。すると、パポッと口から玉が落下する。この落下で何かを思いついたように、三上は自分の飛び降り台をおごそかに建築し始めるのだ。教室の椅子や机やら教壇で。

 

ここでもやはり、先ほどと同じように球の落下が三上に先行している。

 

 

生か死のどちらが先かというような人間ならではの問いとは一切関係のない人間が先か球が先かという映画独自のゲーム。この無関係のゲームは雨が降ることや台風がやってくることと同じで、人間とは何の関係もない。これだけ熱気を感じる映画だからこそ、こうした無機的な運動が相対的に冷却効果を生み心地よいのである。

 

 

3. 白い頭

日本語の頭(atama)のなかに玉(tama)が入っているのは単なるまぐれだろうが、2つの形状はよく似ている。

 

三上が投げたり口に含んだりしていたボールのように画面を行ったり来たりする白い頭がある。そう、あのシーンだ。

 

「オカリナは朝吹くものなんです」

「オカリナは」あ〜?!(どうか怒らないでこの映画とこの記事をここまで見た自分を褒めて)。この意味不明さはラストシーンで理恵が言う「まるで金閣寺みたい」に横付けできる。

 

 

多分、一緒に踊らない方がいいんだろう。放課後のプールでも、誰もいない体育館でも。陰キャと言われようと厨二と言われようと(けどアキラは別に暗くなくコミカルなのが良い)。踊る輪の外にいることで、雨の降り始めの決定的瞬間を見逃さずにいられる。

 

この種の渦中を逃れる目線が次に向かう先は、ストリップショーがおこなわれているステージに向かう三上の右側に消えていった野球ボールであり、三上の落下に先行したピンポン玉であり、「オカリナは朝に吹くものなんです」という自分の知らない秘密の慣用句のようなことをいう白い頭の女なんだ、というアキラ的妄想。

 

(ちなみにここまで視覚的な話ばかりしたが、先生の家でまだ生まれてない赤ん坊の声が聞こえると言う異常な先行性も、この文脈に乗せて良いのだと思う。結構意味不明な演出で工夫している。とてもわかりづらいのでうまくいっているのかは知らないけど。)

 

ちなみに、今回取り上げた三つの白い球は脚本に一才指示が書かれていない。だから相米が何らかの理由で演出をつけたことはほぼ確実だと思う。その何らかの理由がここまで考察してきたことの内容を含むかはわからない。けど問題のある暴力シーンを多く含み、昭和の古い価値観がムンムンのこの映画は、その自身の暴力性や暑苦しさから距離を置くための方法をそれ自身の中に残しているのだと考えたい。じゃなきゃここまで記事書けねえ。

*1:『日本映画シナリオ選集 ' 85』「台風クラブ」加藤祐司、107-8