クジラと時間とクィア
クジラと時間とクィア...
いいえ、今日読んだ最高の漫画の話です。
一つのお題からそれぞれが4pで漫画を描くのを友達とやって
— 細谷 秀平 (@gv_ou9) 2022年8月4日
今回は「伝説のクジラ」がお題で自分が描いたやつです
4pで漫画を描くの初めて〜 pic.twitter.com/AXpSD7wh6X
マユリの記事とかホローナイトの記事とか大蛇丸の記事とか相米映画の記事とかでクィア・テンポラリティを我々はよく話題にしている。
この漫画についての記事も書かずにはいられない。
この漫画は、「伝説のクジラ」というお題で描かれた4ページ漫画である。
船を造り、鯨を追うことに生涯の時間をかけた男女が、女性のいまわの際に人生を振り返る。
ここにあるのは、再生産至上主義と、直線時間指向への懐疑である。
「何も見つけられず」「何も残さず」という事態が、他者と対比したとき、人生の「意味の無さ」を思わせてしまう。
「普通」の人々が「安定した暮らし」に「落ち着く」ことを求める直線時間と、二人の(何も生/産まないかに見える)「何度も」繰り返す航海が対比される。
直線時間と螺旋時間の鮮やかな対比だ。
そしてまさに再生産されず「死」へ向かい、それは鯨との邂逅により祝福されるかのようである。(リー・エーデルマンのクィア・ネガティヴィティって翻訳出るまではこの漫画のこんな感覚っていう理解でいいのでは。。。)
それにしても、なんで「クジラ」と「航海」のモチーフはクィア表象の原動力になるんでしょうか。この漫画から『白鯨』と『老人と海』を想像する読者は多いはずなんだけど、そのモチーフの普遍性って本当に不思議だ。
エイハブやサンチャゴの執念は「狂気」という形で差し出されてしまうけれど、こうやって、私たちが「どこか知ってる」感情で描かれていると、作品と親密になった気がするものである。