なぜ我々は結局「亀山くん」が好きなのか?
みなさん、歴代「相棒」は誰が一番好きですか?
・・・この質問を筆者(ぴんくぱんだちゃん)は幾度となく飲み会やデートの度に問うてきた。
そして落胆するのである。なぜなら、9割の人がこう答えるのだから。
「えー…そんなにちゃんと見てないけど〜やっぱり亀山くんじゃない?」
そんなにみんな亀山くん好き?!?!?!えっ?!だいたいのシーズンをぼちぼち見たことがあっても亀山くんが好き?!?!?!「やっぱり」って何?!?!
ミッチー、もとい神戸尊の「相棒」最推しの私は驚くばかりだ。ちなみに、神戸尊と答えてくれたのは、筆者と同様に重度のクリスティオタクの叔母だけであった。お通夜では右京と神戸のコンビネーションの尊さについて語り合ったものだ。親族の目が冷ややかだったこともよく記憶している。
なぜ右京さんの相棒は「やっぱり亀山くん」なのか?
「初期の頃がやっぱり懐かしいから」とか「神戸・冠城が相棒になると警察内部の話が複雑になるから」とか、そんな理由が最も良く聞こえる気がする。あとは「亀山くんの時代はまだトリックとかネタ切れの感がない」とかだろうか。
・・・うーん。わからなくもなくもなくもなくもない。
しかし、初期つまり亀山が相棒の頃は確かに警察内部の複雑な設定が描かれることは少なかったから、「わかりやすさ」を評価することはできるが、一話完結ものとしての「単純」さが、シーズンを重ねる度に「冗長さ」に感じられたのも確かだろう。
『相棒』は警察内部の複雑な人事・階級や、キャラクターの掘り下げが秀逸なドラマである。したがって、神戸以降の「複雑さ」はむしろエンタテイメントとしては優れていたし、ここまで続いていたのがその証左である。
では、なぜそれでも「亀山くん」なのか?
神戸・カイト・冠城と比較して亀山くんが最も秀でているのは、右京さんとの対照性にある。
並外れた推理力をもち、冷静沈着、絶対的な倫理観を持つ右京さんは、熱血!体力!人情!の亀山くんといることで、最も対照性が際立つ。すなわち、右京さんの天才性や奇人っぽさが最も鮮やかに描かれるのである。
対して、神戸・冠城は「右京さんほどではないが」他のモブに比べたら段違いにエリートかつ頭が切れる。
この「右京さんほどではないが」というのが曲者である。結局、右京さんを出し抜くことはできなかったが、神戸・冠城は、警視庁外部の機関から出向という形で特命係に任命されており、当初はスパイ的な役割だった。つまり、右京さんには及ばずも、捜査一課の面々をはじめとした警視庁内部の人間(そして視聴者)を欺く立ち位置であった。本作の主人公である天才・右京さんと渡り合えてしまう程度には、神戸・冠城は特権的な「相棒」なのである。
理想の「相棒」のかたち
一方、右京さんに比べたら「おバカ」で「熱血」なキャラの亀山くんと右京さんの関係は、放送当初からバディものの定石として、ホームズとワトソンに例えられてきた。
確かに、読者/視聴者と同じかそれ以下の視点をもつワトソン的なキャラクター(亀山くん)は、ホームズ(右京さん)の凄さを際立たせる。ポアロとヘイスティングズも全く同じ構図だ。
しかし、推理力などの能力以外に重要なのは、ホームズ/右京さんの「奇人らしさ」、今風に換言すれば、「クィアさ」である。
ホームズが事件を解決するストーリーと並行して、ワトソンはロマンスを展開し、結婚し家庭を持つ。独身男性二人の気ままな同居生活はワトソンの結婚によって終止符を打たれる(ワトソンはその後も何かと理由をつけて妻と暮らす外国からロンドンへ帰ってくるのだが…)。
つまり、ホームズ&ワトソン的バディの定義として、「家族を持たない・異性愛ロマンスに興味のない孤高の天才」と「普通の生を歩む助手的な(能力の劣る)男」という構図がある。
まさに、右京さんと亀山くんだけがこの定義に当てはまるのだ。
全くロマンスの気配を見せない右京さん(バツイチかつ元妻との固い信頼関係から、恋愛から「引退した」という方がしっくりくる)と、作中でジャーナリストの美和子と結婚した亀山くん。
神戸・冠城は、右京さんと同様、独身を謳歌するばかりか、ウーマナイザー的な性質まで帯びていた(特に冠城)。つまり、やや右京さんに似ている。伊丹たちや視聴者から見れば、十分にホームズ的なのである。
もちろん、神戸・冠城は右京と能力が拮抗するがゆえに、騙し合いのようなスリリングな掛け合いを描くことができた。しかし、「卓抜した天才・杉下右京」を望む視聴者にとって、神戸・冠城はややアンバランスにうつったのかもしれない。安心して『相棒』を見るには、天才は一人でいいのかもしれない。孤高の独身も、一人だからウーマナイザー要素や、「独身貴族」の特権性が光るのだ。
・・・『相棒』ファン永遠のトラウマ、カイトくんに触れていないではないか。触れないのはズルいから少しだけ。
筆者(ぴんくぱんだちゃん)は、カイトくん(最も若い相棒)と右京さんのバディを、「右京さんが『父親』になれなかった失敗の物語」だと思っている。孤高の天才が、カイト(右京さんの盟友・甲斐峰秋の息子)を託され、「育てる」ことを試みる。しかし、右京の厳しい倫理観を受け入れられなかったカイトは、大きな罪を犯す。
この失敗の物語によって、製作側は、杉下右京を「擬似の父親」にすらなれないキャラクターとして、その孤高の天才らしさをさらに強固にすることに成功したのである。
ともあれ、『相棒』の次回作が待ち遠しい。
私は神戸推しだけどね。