ネコ好きのための歌詞考察―椎名林檎、斉藤和義、スピッツ
猫が好きなのかもしれない。猫のぬいぐるみを愛で、猫のおもしろ動画を見て癒やされている。次は猫歌を聞きたいと思い始める。
わたしは実際にネコを飼ったことはなく、種類や生態に詳しいわけでもないのだけれど、ふと気付くと身の回りが猫に溢れていた。ショッピングセンターにでも行って、雑貨屋さんで商品棚を見てみてほしい、猫グッズに溢れた世の中である。
実際、一般社団法人ペットフード協会が実施した2021年の調査によると、全国の推計飼育頭数は犬:710万6千頭、猫:894万6千頭で、2014年以降猫の飼育頭数が犬の飼育頭数を上回っている。そりゃあ、猫グッズも多いはず、ネコ好きが多いのだもの。
猫歌を聞こうと思い探し始めると、あるにはあるのだが、ネコという動物を愛でる曲は意外と少ないことに気付く。猫のうた、といえばまず思いついたのはDISH//の「猫」だった。あいみょん作詞作曲で、2020年YouTubeチャンネル『THE FIRST TAKE』でボーカル北村匠海が白壁の前でだるそうな姿勢で歌っているあの動画が印象的だ。ネコみたい。だけど、それは恋人を猫に喩えた歌詞で、ネコそれ自体を愛でてはいない。そこで、ネコそれ自体、または猫と人間の関係と境界を歌っているとわたしが思う3曲の歌詞をみてみる。
猫を崇めるー東京事変「猫の手は借りて」
椎名林檎が代表取締役を務める音楽事務所の名前は「黒猫堂」で、東京事変として「黒猫道」という曲も出している。2012年に解散した東京事変が2020年解散時のメンバーで再始動<再生>し、2020年4月8日、8年ぶりの新作となるEP『ニュース』をリリースした。メンバーが1曲ずつ作曲しており(作詞はすべて椎名林檎)、猫歌「猫の手は借りて」はドラムス刄田綴色の作曲である。椎名林檎はEPの解説文で「猫の手は借りて」について次のように語っている。
「猫は信仰です。コードワークは弦楽器をたしなんでいる人の手癖のような響きですよね。元々の素養からして当然なんですけど、アカデミックな側面を彼は隠したがるものですから、こうして改めて作品として残せて幸せです。他の4曲では必ず「人生」という語句を用いていますが、この曲では敢えてそれを避け、即物的な行為をより無自覚で無造作なまま描こうとしました」(椎名)
―引用元「NEW EP『ニュース』ライナーノーツ」https://www.tokyojihen.com/disco/special/22/
これを踏まえて、歌詞をみてみる(頭の数字は行数)。
※歌詞の引用は東京事変 猫の手は借りて 歌詞 - 歌ネットから
1 猫が椅子に泰然と構えじっと観ているこちらの模様を
2 四分刻みのアラーム直ぐに消しては寝る人間の諸行を
3 今日は遠く小さい都市で大きい規模の戦争が起こった
4 ニュースを読もうと端末を取り出す所で終電へ潜った
5 けれど知らないみんなの匂い密閉された電車のなかで
6 徐ら深く安心してしまい電話のポケットを泳いだだけ
7 猫は干支や星座に居ない…重大な役を全うしての免除
8 眼で諍いを吸い尽くし転送をするブラックホールまで
9 だからきっとあの国は長年採用していないと思う猫を
10 間違いない人間の考えなど結局勝ち負けばっかあーあ
11 わざわざ幻想を追い回して損得勘定最優先ちょっとも
12 割りを食いたくないと後でいくら弁解したとて人間は
13 所詮尊大なままやはりやったことが全部だ何も云わぬ
猫歌を聴くと、歌い手はネコなのか人間なのか、どの視点にいるかということが気になってしまう。最初の2行をみると、どうやら歌い手はネコと人間を同時に見ている。で、猫は「人間の諸行」を見ている、らしい。仏教の真理の一つ「諸行無常」は「この世のものはたえまなく変化し続けている」ことを指すが、猫は移ろいゆくとされる「諸行」を「じっと」捉えることができるようだ。人間の方は寝ており目を閉じているため、夢でも見ているかもしれない。
3行目は、突然歌い手の視点が地球規模にまで引いて、遠くの都市での戦争に関心が向く。それから視点は歌い手の身体に戻ってきて、終電の車両内へ。
7行目「猫は干支や星座に居ない…重大な役を全うしての免除」がとってもいいなと思う。猫は干支や星座といった一切の時間的なものから逃れている。猫は移ろいゆく時間の無常さから「免除」されており、面倒な「諍い」を時間の流れの遅い「ブラックホール」にまで転送してしまう。
椎名林檎が解説文で語るように「猫は信仰」の対象であり、さらに/ゆえに、猫は社会的政治的イデオロギーから逸脱した存在である。そのために、椎名は、「人生」として俯瞰的に人の生を見ることなく、またそれを語ろうとするような力を行使せず、流転する時間から逃れた猫的な「即物的な行為をより無自覚で無造作なまま」描いている。人間は諸行無常の世界で争い、破壊をもたらす一方で、猫は時間的な制約から免除され、人間によって理想化され、絶対的に人間の上位存在として君臨しているよう。しかし同時に、歌い出しにあるように人間の部屋に暮らしている(人間に飼われている)存在でもある。
俺かおまえかあいつかー斉藤和義「野良猫の歌」
斉藤和義の「野良猫の歌」はタイトルの通り、特定の人間に飼われていない野良たちの歌である。2003年3月リリースされたアルバム『NOWHERE LAND』に収録されている。まじのネコ好きフレンドに聞くと、もちろん知っていた。斉藤和義の楽曲には猫がしばしば登場しており、レコード会社では「斉藤和義と猫」というプレイリストを提供しているくらいだ。
ドラムからのギターでめちゃくちゃかっこいいイントロが流れ始め、思わず体を揺らしながら聴く。夜、人間は寝静まるころ。以下の引用でダブル・クオテーション・マーク内は野良猫が歌っていると思われる。野良猫のうたを斎藤が歌う。
※歌詞の引用は斉藤和義 野良猫のうた 歌詞 - 歌ネットから
世界中がまだ眠るころ野良猫たちが
寒そうな三日月の下で歌い出す
“どうだっていいじゃないかよそんなこと”
“過ぎ去った日々にやさしいくちづけを”
“ジャンプして屋根に乗って勇気を見せてみろよ”
歌い手は、三日月の下で歌う野良猫たちを見ている。野良猫たちは他の猫相手に歌っているのだろうか、眠っている人間たちに対する言葉なのだろうか。
俺は野良猫 おまえは誰だ
そんな爪じゃあいつらには勝てっこないぜ
目を開いて 狙い定め 飛びかかれよ今がチャンスだ
次は「俺は野良猫」というように、歌い手が野良猫であることが明かされる。おかしい、初めに歌い手は野良猫を観察していた側だったのだが、今度は「俺」が「おまえ」を見ているらしい。一体、部外者(猫)はだれ(どの猫)なんだ?さらに、「あいつら」という別のグループも登場する。「俺」と「あいつら」は敵対している。「おまえ」はどちらの味方につくつもりだろう。「俺」は戦い方を指導する。
真っ黒でも俺の瞳はサーモグラフィ
世界中で目覚めている人達は一握り
“泥だらけの愛をもって海へ行け”
“今日の体力は今日中に使い切れ”
あてのない旅の途中 君は何処?
ぶらさがる三日月の涙
ここにはもう いたくない
本能に逆行するような世界
俺は野良猫 おまえは誰だ
そんな爪じゃあいつらには勝てっこないぜ
目を開いて 牙をむいて 飛びかかれよ今がチャンスだ
泣いてばっかりのおまえは誰だ
その機械がなきゃおまえはおまえじゃないのか
目を覚ませ 俺と行こうぜ 世界はまだ喜びにあふれている
機械に支配された人間たちの「本能に逆行するような世界」にいたくないと思うのは野良猫ではなく人間だ。野良猫は(基本的に)機械を使わないはずだし、人間は自由気ままに暮らしてるかのように見える猫たちを理想化する。人間は、猫の世界、というか野良猫の世界に憧れを抱いている。となると、歌い手が人間なのか猫なのかがますます分からなくなる。人間且つ猫なのかもしれない。
人間は「猫になりたい」と願望することがあるらしい。
猫になりたい人間―スピッツ「猫になりたい」
こちらは、人間らしき自分が猫になり恋人の腕に抱かれたいと望む歌である。スピッツのボーカル草野正宗の作詞・作曲で、1994年リリースの「青い車」のB面に収録されている。「青い車(曲)」のWikipediaによると、当初は「猫になりたい」がA面になる予定だったためジャケット写真が猫デザインのままだそうだ。2曲とも、検索すると歌詞考察ブログが多く見つかる。ちなみに、スタジオジブリ映画『猫の恩返し』の主題歌「風になる」(2002年)を歌うシンガーソングライターのつじあやのが、スピッツのトリビュート・アルバムで「猫になりたい」をカバーしている(これも2002年のこと)。
スピッツ公式YouTubeチャンネルに「猫になりたい」がないので、つじあやのVer.。
※歌詞の引用はスピッツ 猫になりたい 歌詞 - 歌ネットから
灯りを消したまま話を続けたら
ガラスの向こう側で星がひとつ消えた
からまわりしながら通りを駆け抜けて
砕けるその時は君の名前だけ呼ぶよ
広すぎる霊園のそばの このアパートは薄ぐもり
暖かい幻を見てた
「灯りは消したまま」で薄暗い部屋の中。「星がひとつ消え」るというのは朝がきたことを示すのだろう、しかし日が昇り空が明るくなっていくという表現は避けられている。あえてこれまで明るく光っていた星が消えるという表現を用いることによって、むしろ星の光のなさ、暗さをイメージさせる。霊園に隣接するアパートに暮らす主人公は、暗い中、「からまわり」、どうやらそこに実体はない「君」の名前を呼び、見えないはずの幻を見ている。「君」は今霊園に眠っているのかもしれない。
猫になりたい 君の腕の中 寂しい夜が終わるまでここにいたいよ
猫になりたい 言葉ははかない 消えないようにキズつけてあげるよ
空虚さに包まれる主人公は、サビで「猫になりたい」と望む。そして「寂しい夜が終わるまでここにいたい」と望むのだが、直前にみていた夜明けの来なさを踏まえると、多分この主人公にとっての「寂しい夜」は終わらない。また、実体が消えてしまったであろう君にとって「消えないようにキズつけてあげるよ」というのは、儚い。身体がなくなれば、キズもなくなる。それでも人間の言葉よりは永続的なものなのかもしれない。猫になりたい主人公は、人間のことばを吐かずに、キズをつけるという猫的行動によってなんとか痕を残して儚さに抵抗しようとする。
このあとサビは歌詞を変えずにさらに2回登場する。夜が終わることと、消えないキズをつけること、そして猫になることを望む人間主人公の強い思いは、繰り返されることによって、むしろその叶わなさが露呈する。
何ヶ月も前だが2月22日の猫の日に合わせて、猫歌プレイリストなるものがLINE MUSICで作成されている。
https://music.line.me/webapp/playlist/upi7nLrdtfvhxjzl_n1p3rE-GrFPM4hvAyOy
猫歌といっても、冒頭で触れたように恋人を猫に喩えていたり、スピッツのように「猫になりたい」と歌っているものなど、猫の登場の仕方は様々である。
また思いついたとき、歌詞に表れる猫の性格、理想像、人間との関係性など考察していきたいと思う。けども、気ままなので、次は猫小説でもいいかもしれない。ニャー