みんなのBento

種類豊富なおかずが入った、楽しいお弁当。筆者たちが各々のレシピで調理しています。多くの人に食べてもらえるようなお弁当を作るため、日々研究中。

新たなSATCのトイレ事情「And Just Like That...」

トイレは “女子のコミュニケーションの場”だった。

 

クラブでお相手探しをしているとき、トイレに入ってちょっと休憩

パーティ会場でソーシャライズしているとき、仲良しグループでトイレに集合

トイレでメイクを直してるとき、他の女子の会話からゴシップをゲット。

 

f:id:nazarashi:20220129012021j:plain

セックス・アンド・ザ・シティ(SATC)とポリコレ

NYC在住セックスコラムニストのキャリー・ブラッドショーと友人らが送るニューヨーク・ラブ・セックス・ライフのコメディシリーズ。シーズン6までテレビドラマとして1998〜2004年まで放送され、2度の映画化のあと2021年より「And Just Like That」というタイトルで新シーズンが放送されている。日本ではU-NEXTで毎週水曜に1話ずつ更新されており、2022年1月29日現在、5話まで配信されている。

 

2000年前後に放送されていたドラマは、ポリコレ的に見てられなくなる。例えば一部を挙げるだけでも、登場人物は白人ばかり(舞台はNYC!)、メインで登場するのはシスヘテロ女性たち(クィアな関係は一時的なこととして処理される)、キャリーとシャーロットの親友はそれぞれオシャレなゲイ男性で口が達者(というシスヘテロ女性とゲイ男性のステレオタイプな友情)などなど。

 

あと笑っちゃったのは、ニューヨーク・タイムズ紙などに書評を書いている文芸評論家で日系アメリカ人のミチコ・カクタニの名前が言及されたとき。キャリーはコラムを集めて書籍を出版するのだが、ミチコ・カクタニの毒舌の書評が怖くてたまらなかった。そこで、「ミチコ・カクタニって名前、なにこれ!発音しづらいんだけど!やだ!」みたいなことを言っていた。

筆者は数年前にドラマを見ていたとき、キャリーたちが名前をいじっているのを「おお!まじか!」と思いつつ、ドラマ制作当時はこんなこともテレビで言ってたのか、そうだったよなと思って自分も笑ってた。ほかにも筆者も無神経で気づけていないおっとっとポイントがたくさんあると思う。

 

新章「And Just Like That」での様変わり

舞台設定はポストコロナのNYC、というか2021年の後半頃。オミクロン株の拡大は起きていないころの撮影だから、パンデミック終わったー!みたいなテンションなのがまずウケる。前ドラマシリーズからは20年弱経っているわけだ。

 

この20年弱の間、出演陣にはいろんなことがあった。サマンサはロンドンに移住して主な登場人物はキャリー、ミランダ、シャーロットの3人。ドラマ制作時にサマンサ役のキム・キャトラルが出演を断ったためという裏事情のためだ。キャリーの大恋愛相手で夫のミスター・ビッグ役のクリス・ノースが複数の性的暴行疑惑で訴えられていたり、スタンフォード役のウィリー・ガーソンが2021年9月に57歳で亡くなっていたり…。

 

「And Just Like That」は、かつてのドラマ・映画に描かれていたジェンダーセクシュアリティ、人種、若さと老いの問題にとにかく自己言及的だ。あのときはああだった、でも今はこう、というのを受け入れて前に進もうとしているらしい。出演陣だけでなく社会全体に様々な変化が訪れたので、ドラマにもそれらが反映されているよう。

 

で、トイレに注目してみる。SATC好きはすぐにも気付いたと思うけど、「And Just Like That」でもトイレはコミュニケーションの場として機能している。いろんな形で。

 

「行こう 55歳だし漏れそう!」(第1話)

長い列ができた女性用トイレに並ぶのに飽き飽きとして男性用トイレを使うミランダとキャリー。あまり記憶が定かじゃないけど、こんなこと今までのドラマではなかったよね?ミランダが「55歳だし」と付け足していることから、歳を重ねた今は女子トイレ絶対主義ではなく、どのトイレでもいいから用を足すこと絶対主義になったよう。ちなみにミランダが男性用トイレで用を足している間も個室の前に立っているキャリーとお喋りを続けている。トイレがコミュニケーションの場であることは絶対

 

 "オールジェンダートイレ”(第3話)

散歩中におしっこが漏れそうになったキャリーはカフェで飲み物を買って、そこのトイレを使おうとする。すると、オーマイゴッシュ!あの人が先にトイレに入っていた。そして、キャリーはあの人とトイレで会っちゃったのをきっかけに久しぶりに話をする。トイレに入ろうとしたとき、“オールジェンダートイレ”という標識が読めるように画面に映る。誰でも使えるトイレで、仲良しグループだけじゃないトイレで、あの人と再会する。トイレきっかけに話をすることで、キャリーとあの人の間にあった緊張もちょっと溶ける。“オールジェンダートイレ”は分断を解消する象徴なのかもしれない。

 

 "彼女をトイレに座らせよう”(第5話)

キャリーは股関節の手術をすることになった。術後一人で歩いてトイレに行くことができないため、シャーロットがキャリーを支えてトイレの便座に座らせ、最中も見守る。信頼のおける友だちでないと、なかなかこの頼みはできない。トイレのケアって大切。人は生まれたときオムツをつけてもらって、自分でトイレに行けるようになって、また助けが必要になるときがくる。突然の病気や事故で、助けが必要になるのがいつやってくるかは分からない。トイレは通常個室になってて「見られない」ことが前提の行為であるが、「見てもらわないとならない」のはどちらの立場でも大変だろう。普段のコミュニケーションがあるからできることだろう。

 

ちなみに筆者は酔っ払ったときやお腹が痛すぎたときに友達に見守られながらトイレをしたことがある。ありがとう、友達…。

 

「ベッドで漏らした 誰も手伝ってくれないから」(第5話)

術後キャリーは家に帰るがまだ自由に歩けるようにはなっていないので、ミランダとシャーロットが交代でキャリーのケアにやってくる。ミランダ担当の日、キャリーはベッドで寝ていたのだが “色々あって” 目が覚めた。キャリーはおしっこが漏れそうなのにミランダが寝室のキャリーに気付いてくれないため、トイレに間に合わなかった。 そして“色々あった”ミランダは自分でトイレに行き用を足す。自由に動けないキャリーがベッドで漏らしたのとは反対にミランダはすっきりした顔でトイレから出てきてキャリーに気づく。二人は口論になるのだが、そこで“色々あった”こと含め、ぶっちゃけた話をする。お漏らしやトイレを挟んで、二人は決定的なコミュニケーションを取ることができたのだ。トイレはコミュニケーションの大事な場面で登場してくる

 

ここ1週間で配信分をイッキ見した。ポリコレ意識しすぎてないか?言及しすぎでは?と思いはじめは見るのを辞めようと思ったけど、やっぱり見続けたら面白くなってきた。ゴリ押し感、いやだと思う人たくさんいるんだろうな、と思うと悲しいんだけど。まあ、続きを楽しみにしてる。このあと登場するトイレ場面も。

 

今のところ思う名台詞は第4話で新しいキャリーの友だちシーマが言ってたこと。

「人は時々 自分の無神経さに気づかない」

過去のドラマ・映画を踏まえてしつこいくらいに自己言及的なのも、無神経さに気づけないよりいいんじゃね。無神経なところがあるって分かった上で人は試行錯誤していくんだね。

 

いやーそしてやっぱりミランダ好きなんだよなー!