みんなのBento

種類豊富なおかずが入った、楽しいお弁当。筆者たちが各々のレシピで調理しています。多くの人に食べてもらえるようなお弁当を作るため、日々研究中。

映画『アイランド』 消えた靴の謎

『アイランド』っていう映画をアマプラで観た。2005年公開。スカーレットヨハンソンとユアンマクレガーのコンビで繰り広げられるSF作品で、アクションもストーリーの展開もなかなか面白く見応えはある。

 

Amazon.co.jp: アイランド (字幕版)を観る | Prime Video

アイランド (2005年の映画) - Wikipedia

 

以下、がっつりネタバレ。

感想まじりの考察をしながら、消えた靴の謎にせまります。

 

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目次

そういえば靴もクローンみたいなものかも

早速バラすけど、映画のタイトルにある「アイランド」ってのはウソね。クローンから臓器を摘出したり、クローンに代理出産させることで莫大な金を稼ぐ企業が、製品・商品であるクローンに刷り込ませた(inprinted)架空の島、それが「アイランド」。クローンたちはバカでかいビルのなかで栽培され、外の世界が汚染されていると教育されており、いつか汚染されていない最後の地「アイランド」に旅立つというフィクションを信じている。もちろん「アイランド」行きの決まったクローンは、臓器を提供したり子供を出産したりしたのち、お役御免となり処分されていく。

 

設定はちょっとややこしいけど話の流れはシンプルで、クローンの中で初めて管理された世界に疑問を抱いたリンカーン・6・エコー(ユアン・マクレガー)が、ジョーダン・2・デルタスカーレット・ヨハンソン)とともに、外の世界へと脱出する。それで「アイランド」の嘘を暴き、クローンたちを大解放するってだけ。『マトリックス』のネオがトリニティと一緒に人類を救うみたく、6・エコーは2・デルタと一緒にクローンの仲間たちを解放するみたいな感じ。

 

で、靴の話をさせてほしい。おれがこうして記事を書いているのは、次のシーンが気になったからだから。映画の冒頭、悪夢から覚めたリンカーンは、自分のクローゼットの靴が片方だけなくなったことに気づき、管理局のようなところに電話をかけて靴を発注する。それから部屋を出て、廊下で友達と会って次のように会話する。

 

おともだち:「調子はどうだい?」

リンカーン・6・エコー:「靴を片方無くしたんだ」

 

けれども、おともだちはこれをガン無視。それに、この後いくら待てども靴の行方は明かされない。だから、このシーンはとっても浮いている。『ウォーリーを探せ』みたいな感じで、かたっぽの靴がどっかのシーンに落ちてるのだろうか。いや、けどそれが見つけたからってどうなるわけでもない。多分そういうことじゃないのでは。それでおれは、この失踪を製作者からのサインとして受け取ってみた。「靴が片方消えた」ということそれ自体の意味をちょっと考えてみてねっていうサインとして。

 

このシーンを繰り返し見ているあいだにあることに気付いた。それは、主人公が消えた靴の代わりを「発注したこと」が意外と大事かも、ってことだ。つまり、靴が消えなくちゃいけなかったのは、クローン自身が靴のクローンを必要とすることを強調するねらいがあったんじゃないかなって。

 

人間がクローンを製造するだけでなく、製造されたクローンもまた同じようにクローンを求めている。クローンを「スペア」という言葉に言い換えても良い。たとえばタイヤがパンクしたらスペアタイヤを使う。替えを効かせる、足りなくなったら補充する、古くなったら入れ替える。クローン思考は人間の営みのベースにある。私たち人間はすでに日常的にクローンを使用している。

 

これを念頭に置いて、さっきの靴の話に戻る。リンカーン・6・エコーというクローンが、靴のクローンを要求することは、クローンがとても人間的であることを強調するための演出ととれないか。つまり、この映画では、クローンが人間のそっくりさんであることが、表面的に見てわかる身体としてではなく、内面的な思考パターン(クローン的思考)によって強調されているのだと。もしそうであれば、リンカーン・6・エコーはとても人間臭いと言える。

 

人はクローンに、クローンは人に

この映画は、人間とクローンが対立関係にあるのではなく、同質のものとして描かれているところに特徴がある。この映画は、『マトリックス』のようなわかりやすい対立構造(人類VSロボット)を持たないので、ネオを人類の救世主として応援しながら観るような見方ができず、観客はどちらの立場にも立てない居心地の悪さを感じることだろう。個人差はあれど。ともかく、この映画には、人間とロボットが闘ってロボットが勝ったとか、猿と人間が闘って猿が人間を支配しましたとか、そういう闘争の関係はなく、人間とクローンの境目のなさ、分けられなさが強調されている。

 

それだけでなく、機械/人間の境目も消えている。それはカーアクションのシーンに見られる。クローンのいるビルを脱走した6・エコーは、自分のオリジナル、トム・リンカーンに会いに行き、クローンで儲ける会社を告発するように協力を求める。二人は車に乗って、テレビ局で会社の非道を訴えるはずだった。ところが、トムは密かにクローン管理会社に連絡をとっており、6・エコーを裏切っていたため、6・エコーはトムを乗せたまま車を激走させて逃げ回ることになる。

 

 ーー6・エコーが操縦する車に追手の銃弾が当たる。

トム・リンカーン:「俺の車が エンジンを撃ちやがった」

          "They're shooting my car, they shoot my engine!"

 ーー6・エコーが助手席に座るトムの顔を、銃で殴る。

トム・リンカーン:「俺の鼻が」

                                    "Oh my nose!!"

 

ここでは、トムの車の一部と人体の一部が比較可能なものとして並べられている。ダメージの質が同じなのだ。人間のクローンがいる世界では、エンジンだろうが鼻だろうが金を払えば修復可能なものであり、どちらも経済的なダメージでしかない。ここでは人工物と自然物の差異が消えている。ぜんぜん笑えないシーンだ。いや、むしろもう笑っていいのか。

 

人間とクローンの差は消えてしまう。それは、意外にも人間が人間のクローンを作ることによって。一見、クローンを製造することは人間の外で起きていることのように思えるが、人型クローンの製造は、人間自身をクローンへと作り替える行為でもあると言える。印刷にたとえると、原本とコピーされた用紙の見分けがつかなくなるようなあの感じに似ている。

 

実際、リンカーン・6・エコーのオリジナルであるはずの人間トム・リンカーンは、クローンの捕獲を命じられた男によって誤って殺されてしまう。激しいカーアクションのあと、カークラッシュした車から降りた二人に銃口が向けられるが、狙撃隊はどちらが本物なのかを見分けることができない。結果、本物が死ぬ。リンカーン・6・エコーは、自分のオリジナルを射殺した男に自分が人間だと信じさせる。こうしてクローンは人間になり、人間はクローンになる。

 

赤信号は「止まれ」なのか

クローン/人間の差を超え、コピー/オリジナルの見分けのつかなくなった、そのどちらでもなく/どちらでもある6・エコーからは、人間にもクローンにも想像できなかった一歩上の発想を学ぶことができそうだ。先ほど、車を運転しているシーンで車のエンジンと人間の鼻が同列に並んでいることを指摘したが、このカーアクションシーンには、まだ大事なシーンがある。

 

トム・リンカーン:「赤だぞ 赤だ 止まれ!」

リンカーン・6・エコー:「どうして?」

トム・リンカーン:「車を止めろ!!」

ーー6・エコーが車を止める。

リンカーン・6・エコー:「どうしたんだ?」

トム・リンカーン:「信号の赤は"止まれ"だろ!」

リンカーン・6・エコー:「知らなかった」

 

管理されたビルの中で外の世界を知らずに栽培されたクローンは、信号のルールを知らない。6・エコーはこのとき初めて、「赤は止まれ」を学習した。ところが、この直後、上空からやってきたヘリコプターから放たれた銃弾が信号機を直撃し、信号機が落下する。まるで、教わったばかりの知識をなぎ倒すかのように。すると、6・エコーは次のように言って、アクセルを全力で踏む。

 

トム・リンカーン:「悪いな。俺はまだ死ねないんだ」

リンカーン・6・エコー:「俺もさ」

 

この作品では、刷り込まれた(inprinted)ルールを破り、「誰かの無言のルール」を疑う役割を、クローンと人間の見分けのつかなくなった6・エコーが担っている。そう考えると、彼が反対車線に入り逆走するのも単なる派手なアクションの演出以上のものが読み取れる。というのは、助手席に座るトム・リンカーンが逆走する6・エコーに対して言う"Run the right side"という台詞は、そのまま「右側を走れ」(アメリカは右側通行)とも取れるけど、「正しい道を走れ」という命令にも聞こえるからだ。それに、助手席って右側だ。反対に、操縦する6・エコーは左側に座っている。そういえば、冒頭で消えた靴も、字幕では「靴が片方ない」だったけど、英語では"I'm missing my left shoe"。rightじゃなくてleftに運転が任されているってわけなのかも。

 

リンカーン・6・エコーが最初に気づいたのは、「アイランド」が存在しない作り話だということだった。この発見の延長線上に、信号機や走行のルール無視を置くことができそうだ。既存のルールをつぎつぎと破ることで、決め事が作られたものに過ぎないことを暴く6・エコーは、人類にもクローンにも思い付かなかった道を進むドライバーとして適任と言えそうだ。

 

不在の発見と更新

映画の最後で二体のクローン、ジョーダンとリンカーンは「RENOVATIO」(ラテン語で「再生・更新」)というボートに乗って海を走っている。海に信号はないし、レールや道路のように決まった道はない。この航海を続けてもアイランドに辿り着くことはない。それは存在しない。けれども、少なくとも刷り込まれたルールや、敷かれたレールの存在しなさ、つまり、「アイランド」の不在を発見したことで、更新の下準備が整ったのだと積極的に解釈できそうだ。無いことを発見する。

 

片方だけ消えた靴の行方は、映画の最後の最後まで明かされない。多分、これでいい。この欠落があるから良い。消えた靴は「見つからない・そこにない」ということが発見された。むしろ、靴は両足揃うべきだという発想(赤信号は止まれ的ルール)を疑うことも可能になる。この映画には不在を見つけることで真に消える「アイランド」みたいなのがたくさん隠されているのかもしれない。

 

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けど、靴の行方はやっぱり追えると思う。答えは出せる。たしかに冒頭に消えた靴は見つからない。けれど、新しい靴が代わりに見つかっている。それはもっと前に進むための靴だ。それはスペアとしての靴ではなく、既存のルールを更新し作り替えたようなもので、今まで誰も靴だとは考えてこなかったような類の片足の「靴」であるはずだ。最後の画面の中にそれはあるように見える。(リ)

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『アイランド』のラストショット